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延岡城 ~九州の「陸の孤島」に建つ千人殺しの石垣

■概要日向国松尾城の城主だった高橋元種が、関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで本領を安堵され、この日向国北部の延岡の地に築いた城です。当時は、「縣(あがた)城」呼ばれ「縣藩」の政庁となりますが、後にこの地は「延岡」に改称され、「延岡藩...
その他

大友氏館 ~九州を制覇したキリシタン大名・宗麟公の居館

■概要中世に豊後国の守護であった大友氏泰が自身の居館として築いた館で、この館を中心に「府内」と呼ばれる城下町が作られました。九州北半分を制した第22代大友家当主の義鎮(宗麟)は、キリスト教を保護し、南蛮貿易を行ったため、城下町には教会や神学...
古戦場

山崎合戦古戦場 ~「天王山の戦い」光秀vs秀吉激突の地

概要 天下統一の寸前にして家臣の明智光秀に討たれた織田信長の弔い合戦で、のちに信長の後継者を選ぶうえで重要な位置づけとなった「山崎の合戦」の舞台となった古戦場です。1582年(天正10年)6月2日、羽柴秀吉の毛利攻めに加勢する途上に...

勝龍寺城 ~明智光秀が最期の夜を過ごした城

本能寺の変による織田信長死後の覇権を決める「山崎の戦い」にて明智光秀が拠点を構えた城。羽柴秀吉に敗れた光秀はここから本拠である坂本城に脱出を図り、その途上で落ち武者狩りにあって落命します。光秀の娘ガラシャと細川忠興が新婚時代を過ごした城としても有名。

小倉城 ~九州の玄関口に細川忠興が築いた惣構えの城

■概要元々は、中国地方と北九州地方を制した毛利氏が築いた城で、高橋鑑種(大友氏)や毛利勝信(豊臣氏)らが城主を務めました。関ヶ原の戦いの後に、東軍で参戦した功により細川忠興が豊前・豊後39万9千石で入封し、1602年に掛けて改築に着手し、7...

久留米城 ~大友・龍造寺が国境を接した地

■概要古くは室町時代後期にこの地の土豪が篠原城と呼ばれる砦を築いたことに端を発し、その後戦国時代になるにつれて、九州の三大勢力である豊後国主・大友氏と肥前国主・龍造寺氏とが接する場所となり、頻繁に城主が入れ替わることとなりました。その後、大...

水城 ~唐・新羅の侵攻から大宰府を守る長城

■概要朝鮮半島で行われた「白村江の戦い」(唐・新羅vs日本・百済)で大敗した日本軍が、勝ちに乗じて唐・新羅軍が日本に侵攻してくることに備えて築城した城の一つです。同時期に作られた城は、大野城(福岡県)・水城(福岡県)・基肄城(佐賀)・鞠智城...

岸和田城 ~紀州征伐の前線基地となった「だんじり」の城

■概要 南北朝時代にこの地は「岸」と呼ばれる場所でしたが、建武元(1334)年に楠木正成一族の和田高家が城を築いてこの地を治めたことから、「岸の和田殿」がなまって「岸和田」という地名になったと言われています。 岸和田城は、16世紀初...
寺院

万松寺 ~信長「焼香投げつけ事件」で有名な織田家の菩提寺

■概要織田家の菩提寺として知られる寺です。元々は、那古野城の南側に建立され、名古屋市中区錦から丸の内まで広がる広大な寺領を持っていた寺でしたが、江戸時代になって名古屋城が築かれる際に現在の場所(大須)に移されました。その後、第二次世界大戦の...

河後森(かごもり)城 ~土佐一条氏と長宗我部元親がしのぎを削った南予の山城

■概要戦国時代に西土佐を治めた土佐一条氏から養子に出た河原淵教忠(かわらぶちのりただ)が治めたお城です。その後、土佐一条氏は四国統一を目指す長宗我部元親によって攻め滅ぼされますが、天正13年(1585年)に、豊臣秀吉は四国に出兵して平定し、...
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