備中松山城 ~備中の覇者・三村元親の一大要塞

■概要備中国の戦国大名・三村元親が本城とした城で、貴重な現存12天守の一つであります。仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭に任ぜられて臥牛山の大松山に砦を築いたのが発端となり、その後時代の流れとと...

福山城 ~江戸幕府による西国外様大名の抑えの城

■概要江戸時代に、毛利氏をはじめとする西国の外様大名への抑えとして築かれた城です。戦国時代、中国地方はすべからく毛利氏の支配下にありましたが、関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったことで毛利氏は周防・長門二ヶ国に減封となり、備後国は東軍の先鋒と...

鬼ノ城 ~桃太郎が鬼退治に行った?謎の古代山城

■概要岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた朝鮮式の古代山城です。城に関する当時の書物が残っておらず、築城年や築城者・用途などの詳細が不明の謎に包まれたお城です。岡山では、「温羅(うら)伝説」というものがあります。大和朝廷の時代に...

備中高松城 ~秀吉・官兵衛による奇策「水攻め」の舞台

■概要 世界でも唯一の成功例となる「水攻め」で落城したことで有名な備中国(岡山県)の城です。 築城時期は不明ですが、備中国守護代で三村氏の家臣であった石川氏が築いた城です。 石川氏は三村氏ともども毛利氏に滅ぼされ、その後は毛利方の名...
その他

有岡城 ~信長によって散った荒木村重の名城跡

■概要南北朝時代に摂津国人の伊丹氏が築城したお城で当時は「伊丹城」と呼ばれました。その後、織田信長配下の摂津池田城主・荒木村重によって攻め落とされます。荒木村重は、伊丹城を南北1.7km、東西0.8kmの広大な惣構えの城に改修し、「有岡城」...

中津城 ~軍師官兵衛が九州から天下を狙った海城

■概要築城者は、秀吉の天下統一後、豊前国12万石に封じられた稀代の軍師「黒田官兵衛(如水)孝高」ですが、国人一揆に悩まされて工事は停滞し、最終的に完成させたのは関ヶ原の合戦における東軍功労者の細川忠興です。梯郭式の平城ですが、中津川に面して...

臼杵城 ~北部九州最強キリシタン大名・大友宗麟の「海城」

■概要 豊後の戦国大名で一時は九州の北半分を制覇した大友宗麟が、中国地方より海を渡って北九州に攻め込んで来た毛利氏との合戦に敗れ、これまで本拠地としていた府内館(現在の大分市)を息子の義統に譲って、自身の居城として築いた城です。 現...

延岡城 ~九州の「陸の孤島」に建つ千人殺しの石垣

■概要日向国松尾城の城主だった高橋元種が、関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで本領を安堵され、この日向国北部の延岡の地に築いた城です。当時は、「縣(あがた)城」呼ばれ「縣藩」の政庁となりますが、後にこの地は「延岡」に改称され、「延岡藩...
その他

大友氏館 ~九州を制覇したキリシタン大名・宗麟公の居館

■概要中世に豊後国の守護であった大友氏泰が自身の居館として築いた館で、この館を中心に「府内」と呼ばれる城下町が作られました。九州北半分を制した第22代大友家当主の義鎮(宗麟)は、キリスト教を保護し、南蛮貿易を行ったため、城下町には教会や神学...

勝龍寺城 ~明智光秀が最期の夜を過ごした城

本能寺の変による織田信長死後の覇権を決める「山崎の戦い」にて明智光秀が拠点を構えた城。羽柴秀吉に敗れた光秀はここから本拠である坂本城に脱出を図り、その途上で落ち武者狩りにあって落命します。光秀の娘ガラシャと細川忠興が新婚時代を過ごした城としても有名。
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