続・日本百名城

久留米城 ~大友・龍造寺が国境を接した地

■概要古くは室町時代後期にこの地の土豪が篠原城と呼ばれる砦を築いたことに端を発し、その後戦国時代になるにつれて、九州の三大勢力である豊後国主・大友氏と肥前国主・龍造寺氏とが接する場所となり、頻繁に城主が入れ替わることとなりました。その後、大...

水城 ~唐・新羅の侵攻から大宰府を守る長城

■概要朝鮮半島で行われた「白村江の戦い」(唐・新羅vs日本・百済)で大敗した日本軍が、勝ちに乗じて唐・新羅軍が日本に侵攻してくることに備えて築城した城の一つです。同時期に作られた城は、大野城(福岡県)・水城(福岡県)・基肄城(佐賀)・鞠智城...

岸和田城 ~紀州征伐の前線基地となった「だんじり」の城

■概要 南北朝時代にこの地は「岸」と呼ばれる場所でしたが、建武元(1334)年に楠木正成一族の和田高家が城を築いてこの地を治めたことから、「岸の和田殿」がなまって「岸和田」という地名になったと言われています。 岸和田城は、16世紀初...

河後森(かごもり)城 ~土佐一条氏と長宗我部元親がしのぎを削った南予の山城

■概要戦国時代に西土佐を治めた土佐一条氏から養子に出た河原淵教忠(かわらぶちのりただ)が治めたお城です。その後、土佐一条氏は四国統一を目指す長宗我部元親によって攻め滅ぼされますが、天正13年(1585年)に、豊臣秀吉は四国に出兵して平定し、...

鞠智城 ~古代にタイムスリップできる肥後の山城

■概要朝鮮半島で行われた「白村江の戦い」(唐・新羅vs日本・百済)で大敗した日本軍が、勝ちに乗じて唐・新羅軍が日本に侵攻してくることに備えて築城した城の一つです。同時期に作られた城は、大野城(福岡県)・水城(福岡県)・基肄城(佐賀)・鞠智城...

八代城 ~「虎殺し」加藤清正の息子が築城した南肥後の防衛線

■概要南北朝時代には、現在の八代城の東側の山岳地帯に城塞群が築かれ南朝方の重要拠点となっておりましたが、戦国時代には大名・相良氏がここに「古麓城(ふるふもとじょう)」を築いて居城しました。当時「八代城」といえばこの古麓城を指すものでした。相...

赤木城 ~北山一揆の鎮圧拠点となった天空の城

■概要戦国時代に、羽柴秀吉の弟で紀伊国を治めていた秀長が、当地で発生していた熊野牢人衆の一揆(天正の北山一揆)を鎮圧する目的で、天正17年(1589年)頃に、築城名人・藤堂高虎に命じて作らせた堅固な山城です。後に関ケ原の戦いの功で、浅野家当...

若狭鬼ヶ城 ~山中鹿之助が活躍した尼子家再興の舞台

■概要中世にこの地方の国人・矢部氏が築城したといわれるが定かではありません。戦国時代には、毛利家により山陰を追われた尼子氏一門・山中鹿之助が、尼子家再興(二度目)のために拠点としましたが、毛利軍に攻められ翌年には落城します。後に、中国地方に...

八幡山城 ~秀吉に切腹に追い込まれた関白秀次の居城

■概要豊臣秀吉の甥・秀次が自身の居城として築いた城です。秀次は、秀吉による紀州征伐・四国征伐の論功行賞で、近江八幡43万石が与えられ、安土城の間近にある八幡山の山頂に山城を築きました。実際に普請の指揮を執ったのは秀吉です。当初、安土城は、本...

多気北畠氏城館(霧山御所+霧山城) ~信長によって滅ぼされた伊勢の名家・北畠氏の本城

■概要南北朝時代に南朝方の重臣として活躍した北畠親房の三男・顕能が伊勢の国司に任じられ、多気北畠氏を開きますが、当時の本拠は田丸城でした。その後、田丸城は北朝方に攻め落とされ、顕能はこの多気の地に逃れて城を築いたと言われています。城は、麓に...
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